History川上別荘の歴史

国重要文化財

萬松園(旧川上家別邸)

日本最初の女優が手がけた女性らしい優美な歴史的建築物

「唯一無二」。作ろうとしてもつくることができない、真似できない。各務原市の指定文化財にもなった萬松園(旧川上家別邸)はその数少ない場所のひとつです。
日本初の女優・川上貞奴の別荘として昭和8年に完成しました。女性ならではの繊細な装飾が施され歴史的価値・芸術的価値が高い建築物です。

萬松園(旧川上家別邸)のご見学をご希望のお客様ご見学は完全予約制となっております。

お問合せはこちらからtel.058-384-0700

岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町3-82-2
平日 11:00-19:00
土日祝 10:00-19:00
(毎週火・水曜日定休)

一般見学について

萬松園見学会

日程 12月17日(月) 1月21日(月)[定員50名] 1月28日(月)[定員50名]
集合時間 11:00
見学時間 1時間程度 ※見学時間は目途となります
集合場所 迎賓館サクラヒルズ川上別荘
見学料 540円(税込)
ご予約 迎賓館サクラヒルズ川上別荘
058-384-0700

貞照寺・萬松園合同見学会

日程 12月10日(月)
集合時間 9:30
見学時間 貞照寺/1時間半程度 萬松園/1時間程度
※見学時間は目途となります
集合場所 貞照寺
定員 30名
見学料 1000円(税込)
ご予約 貞照寺
058-384-0202

団体見学(萬松園)

日程 要相談
集合時間 11:00
見学時間 1時間程度 ※見学時間は目途となります
集合場所 迎賓館サクラヒルズ川上別荘
定員 10名~50名
見学料 540円(税込)
ご予約 迎賓館サクラヒルズ川上別荘
058-384-0700

貸出(予約制)について

使用料(主屋) 30,000円/1日
使用料(茶屋) 10,000円/1日

営業用写真撮影(予約制)について

料金 50,000円/5時間

川上貞奴と萬松園(旧川上家別邸)の歴史

Kawakami Sadayakko

川上 貞奴

波乱の生涯を前向きに強く生きた日本初の近代女優

川上貞奴(本名:小山貞)は明治から昭和にかけて活躍した女優です。
貞奴は明治4年(1871年)、東京・日本橋にあった質屋の子供として誕生しました。
生家の都合により、7歳の時に芳町(現:東京都中央区人形町)の芸妓置屋「浜田屋」の養女となりますが、日舞の技芸に秀で才色兼備の誉れが高かった貞奴は、
伝統ある「奴」名をもらい「貞奴」を襲名。芸妓としてお座敷にあがります。
時の総理伊藤博文や西園寺公望など名立たる元勲から贔屓にされ、名実共に日本一の芸妓となったのです。

そんな貞奴は14歳のときに運命的な出会いをします。福澤桃介との出会いです。
14歳当時の貞奴は男勝りで、しばしば、一人で馬の遠乗りを楽しんでいました。あるとき遠乗りの途中の山道で、貞奴は数匹の野犬に襲われます。
このとき通りがかった桃介(当時は学生)が野犬を制し、これをきっかけにふたりは恋に落ちました。
しかしこの初恋も長くは続きません。出会ってから1年後、桃介は福澤諭吉の二女・房と政略結婚。
この後、貞奴と桃介は長い別離を挟みます。悲嘆にくれた貞奴も少しずつ立ち直り、20歳で川上音二郎と結婚します。
音二郎は明治期を代表する劇団・音二郎一座の俳優であり興業主でした。
19世紀以前の日本の芸能・舞台は男社会でしたが、もともと美貌に恵まれ日舞にも秀でていた貞奴はふとしたきっかけで女性で初めて演劇の舞台に上がることになりました。
その後の貞奴は女優として、女将として劇団を支えます。音二郎一座はロンドン、パリ、アメリカでの海外興業でも成功し、
パリ公演では貞奴の舞(能「道成寺」)に感銘を受けたフランス大統領夫人が貞奴に握手を求め、官邸の庭を連れ立って散歩したそうです。
こうして彼女は「マダム貞奴」の通称で一躍有名になり、パリの社交界にデビューすることとなりました。社交界では、キモノ風の「ヤッコドレス」が流行。
ドビュッシーやジッド、ピカソも彼女の演技を絶賛し、フランス政府はオフィシェ・ダ・アカデミー勲章を授与しました。

このころから「女優」という仕事が認知されたため「日本初の女優」といわれています。
そのころの国内の活動としては、明治41年(1908年)に帝国女優養成所を創立。
精力的に演劇界の改革を進めていた音二郎と貞奴でしたが、明治44年(1911年)、音二郎が舞台で倒れ亡くなります。
それと時を同じくして、貞奴は桃介と運命的な再会を果たします。
当時の桃介が日本初の洋式劇場である「帝国劇場」の設立発起人のひとりであった縁で、再び協力し合うようになった桃介と貞奴。
もともと桃介に多大な尊敬の念を持っていた貞奴は大正6年(1917年)に女優を引退してから2年後、49歳のときに再び桃介と生活し始めました。
その後の貞奴は生活面でも実業面でも桃介を支えました。
大井発電所の建設など桃介の活躍の横にはいつも貞奴がいたはずです。
様々な苦難や失敗にも悲観せず前向き生きた彼女の人生は、その後映画化やドラマ化もされ、今なお一人の強い女性として尊敬されています。

Banshoen

萬松園(旧川上家別邸)の成り立ち

純粋な私邸であるがゆえの豪華さとこだわりに満ちた別荘

当時、東京で生活していた貞奴が岐阜の鵜沼に自身の寺を建立した理由は、晩年のパートナーでもあった福澤桃介の存在があったようです。
桃介は「日本の電力王」と呼ばれた事業家。
木曽川の水利権を獲得し、明治から大正にかけて八百津発電所(岐阜県加茂郡)、
日本初の本格的ダム式発電所である大井発電所(恵那郡)、落合発電所(中津川市)などを建築していきます。

桃介も関東で生活していましたが、事業面では中部地方を中心に活躍していたため、しばしば貞奴と一緒に愛知県や岐阜県を訪れました。
滞在中、大井ダムの視察などで鵜沼にもよく立ち寄り、風光明媚なこの土地を気に入ったのか、
鵜沼に自身と桃介のための寺「貞照寺(ていしょうじ)」を1933年(昭和8年)に建立したのです。
サクラヒルズから国道を挟んで西側にある大きなお寺です。

この貞照寺にお参りをする際に滞在する別荘として、同年に建設されたのが「萬松園(ばんしょうえん)」です。
それまで愛用していた名古屋の二葉御殿を売却するなど、貞奴は私財をなげうって貞照寺と萬松園(旧川上家別邸)を建てました。
別荘と呼ぶにはあまりにも大きな規模で、日本中から集められた材料や装飾品が施され、
東京から派遣された大工によって建てられた萬松園は、貞奴の人並外れた感性と、それまでの62年間の人生をそのままに投影した建物です。

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