国重要文化財

旧川上家別邸(萬松園)

萬松園は、日本初の女優・川上貞奴が建てた建坪150坪の大規模別荘です。海外からの評価も高かった貞奴の感性が注ぎこまれた日本家屋で、その芸術的価値の高さが認められ、2018年(平成30年)8月17日に国の重要文化財(建造物)に指定されました。

国重要文化財・旧川上家別邸(萬松園)

贅を凝らした大邸宅・萬松園

昭和8年に建てられた萬松園は、木曽川に面した広大な庭に茶室を備えた、敷地面積1000坪、建坪150坪、一部二階建て26部屋が連なる大邸宅です。近代数奇屋建築に、一部は書院造、全体は平安時代の寝殿造りの様相も見られ、名匠によって日本中から集められた建材と当時の最先端技術、和洋の優美な装飾品が用いられました。その豪華絢爛な造りは唯一無二の存在、年月を重ねても色褪せない魅力のある建物として各務原市登録文化財に指定されました。

国重要文化財・旧川上家別邸(萬松園)
国重要文化財・旧川上家別邸(萬松園)
国重要文化財・旧川上家別邸(萬松園)
国重要文化財・旧川上家別邸(萬松園)
国重要文化財・旧川上家別邸(萬松園)

日本初の女優
「川上貞奴」の生い立ち

明治4年(1871年)東京・日本橋に生まれた貞奴は、7歳で葭町の置屋「浜田屋」可免の養女になりました。類まれな美貌と日舞の技芸に秀で、才色兼備の女性へと成長した貞奴は、伊藤博文や西園寺公望といった元勲から贔屓にされ名実ともに日本一の芸妓となります。23歳で俳優の川上音二郎と結婚すると、劇団一座とともにアメリカへ。苦しい興行を続け、イギリスからパリ万博公演を目指しました。そして、ヨーロッパの名だたる芸術家たちを魅了し、仏政府からオフィシェ・ダ・アカデミー勲章を授与され「日本初の女優」と言われるようになりました。40歳で音二郎と死別後、中部地区で行っていた福沢桃介の近代化事業を支えるため、「双葉館」を建て、名古屋へ移り住みます。昭和8年(1933年)、62歳となった貞奴は、木曽川に面した鵜沼の地を気に入り別荘と貞照寺を建設しました。

国重要文化財・旧川上家別邸(萬松園)
国重要文化財・旧川上家別邸(萬松園)
国重要文化財・旧川上家別邸(萬松園)
国重要文化財・旧川上家別邸(萬松園)

萬松園と貞照寺

貞照寺は、サクラヒルズから国道を挟んで西側にある大きなお寺です。今は亡き音二郎、養母可免ら縁故者の菩薩を弔うこと、ならびに厚き不動信仰の心から建立しました。この貞照寺にお参りする際、福沢桃介とともに滞在する別荘として建てられたのが萬松園です。どちらも貞奴の並々ならぬ想いが込められています。また貞照寺の貞奴縁起館には、貞奴が残した衣装や台本など貴重な品も数多く保管されています。